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生き方(ライフスタイル)を考える;その4

五木寛之氏は著書「新・幸福論」の“おわりに”で、幸福のイメージは、世代や男と女、民族や職業によって異なる。百万人の人間がいれば、百万通りの幸福があり、それら幸福のイメージは時代とともに変わっていく。そして今日本人が立っている位置は20年前、30年前、50年前、戦後、戦前、それ以前といった時々の時代にあった幸福とは違う新しい幸福感が生まれつつあるのではないか。一般的な幸福というものは今はない。それぞれが自分の幸福を手さぐりで探すしかない。ということを述べています。
そして、本文の終章“絶望のなかの小さな幸福”の最後に、『私たちは、日常のなかで自分の好きなこと、そのことが自分にとってすごく気持ちがいいとか、自分が幸福感を感じることをもっと大事にしなくてはいけない。そんな小さな幸福もまた、こんなきびしい時代に私たちの生きる力になっていくのではないかと思うのです。』と締めくくっています。
ちなみに氏が幸福を感じる時は、一杯のコーヒーの湯気からいい香りがした瞬間だそうです。
生きる力は個人が感じるほんの一瞬の小さな幸福にあるということ。財産とか、出世とか、長寿とかを幸福の基準にしていた時とは、大きく様変わりしていることに気づく賢明さ。だからこそ自分の幸福とは何かをちゃんと考えながら生きる生き方への覚悟が重要だと。

そこで思い出すのは12年程前に私がミャンマーの小学校を訪れた時の先生のお話しです。
私達はミャンマーの子ども達への支援活動を行っており、時間を作っては訪緬(緬はミャンマーを指す)していました。(ビジネスという側面もありましたが)。その日はある小学校の授業を見学に行きました。
ご存知の通り国民は大変貧しいのですが、そんな状況でも、子ども達に教育を受けさせるために、親や先生達は日々奮闘しておられます。そして教室へ。
「タナカ(カーマインローションのようなものか)」という樹木の皮から抽出した白い粉を頬やおでこに丸く塗った生徒たちはほんとうにかわいかったです。心の底からのけがれない輝く眼差しと笑顔で私たちを迎えてくれました。

その後、職員室で先生に、子ども達の屈託のない笑顔と目の輝きについて質問をしました。「何故、子ども達はあのように自然な素晴らしい表情を私たちに見せてくれるのですか?」と。
すると先生は「あの日本の人達は前世でたくさんの良い行いをしてきた人達なのですよ。だから現世では豊かな生活が出来るし、私たちに寄付等の施しをしてくださるのよ。だから、あの人達は又来世でも、豊かな生が約束されているのです。だから、貴方達も精一杯善行を施して下さい」と話したことを教えてくださいました。
日本の先生には恐らくありえない話です。
敬虔な仏教の国であるとか、宗教上の教育手法ということとは違って、私は先生の指導の仕方に深く感じ入ったのを今でも鮮明に覚えています。
物質的な豊かさではなく、日々の行動の仕方に豊かさがあるという「精神面での豊かさ」を先生は教えておられるのです。
生徒たちは、今自分が存在している社会の中で「良いこと」をして生活することに幸福を感じることでしょう。
五木寛之氏の言うことに通じるような気がしてなりません。

他人や社会環境が自分の人生の幸せを決定すると考えれば、不幸の原因は他者や社会になり、「怨恨」や「人との比較」や「羨望」に生きることになります。
しかし、人生の幸福は自分の考え方や生き方が決定すると考えると、そんな生き方はしません。
昨日は東日本大震災から五年の時を迎えました。環境が激変しても、自分の人生を自分の足でそれぞれの幸福に向かって、一日一日を大事に生きている多くの人がいることをテレビや新聞で知り、心が震えます。
『人生において、最も大切な時、それは、今です』、『毎日毎日の足跡が、おのずから人生の答えをだす、きれいな足跡には、きれいな水がたまる』相田みつお氏。
『私達は、喜びをもって生きたい。それを待っているだけではなく、自分から探し出すことに慣れなければならない。どんなつまらないことであってもいい、それを今日一日の収穫として大事にしたい・・・・。』五木寛之氏
『・・・・年老いたからと言って、嘆く必要はない。嘆くべきは、年老いて目的もなく生きていることである。・・・・』呂坤(中国明の時代の儒学者・哲学者)