LLCグロウイング&コミュニケーションコーチング協会

LLCグロウイング&コミュニケーションコーチング協会

LLCグロウイング&コミュニケーションコーチング協会

メニュー

GCCAについて

一年がウイーンから、また始まる!

「お元気ですか。お変わりありませんか」の一筆を見て、「今も元気で生きているんだな。よかった!会いたいなー」そんなことを思いつつ、数十年来会っていない人からの年賀状を何度も読み返す。特に親しく接し、格別の思いがある友となればなおさらである。
パソコンや携帯電話のメールで日常的につながっていられるご時世なのに、最もアナログな年賀状に思いを託しているのは不思議なことだが、やはり一枚のはがきが良い。見覚えのある筆跡が長い年月を一瞬に溶かしてくれるからなのか。

「どうしよう・・・」出していない人から年賀状をもらうとちょっと申し訳ないような気分になって、慌てて筆を執る。
逆に出した人から来ないと少し寂しい気分になる。
コミュニケーションが出来なかった気分と同じである。何らかの事情があるのだろうと納得するしかない。
困るのは、頂いた賀状をみながら「この人へは出したはずだけど」しかし確証がない場合である。
だから私は年賀状を書く都度、宛名を同時にメモすることにしている。

パソコンで住所登録しておけば宛名書きは自動的に印刷してくれることは十分に心得ている。しかし、それはしっくりこない。
折角年賀状を書くのならば、一人ひとりの顔を思い浮かべながら、私は宛名書きしたい。
(裏表パソコン印刷している人がいけないというつもりは全くないことを書き添えておく。)
一方で電子メールの年賀状にはもの凄い抵抗感がある。人との関係を機械で処理するという感覚が嫌なのだ。
ビジネスでの関係とあらば、仕方ないとも思えるが、それにしてもやはり抵抗感は拭えない。
明治維新後、郵便制度が確立され、1873年にハガキが発行されて後、年賀状が定着したらしいのだが、世の中が進歩しているからこそ、人同士の温もりを感じる交流の手段としての年賀状をデジタル処理に任せたくはない。アナログとデジタルの境をきちんと分けて生活することで人間らしい関係を保つことが出来るような気がするのである。
といいつつも、ホームページの「コラム」を発信する媒体をフェースブックに頼っていることに自己矛盾は感じている。
然らば、自社の会社案内やコラムを都度都度郵送で送れるかというととんでもない訳で。技術の進化の恩恵を受けて生活していることに感謝せねばならない。
人同士本来の肌の温もりを感じ合えるアナログとデジタルの融合ということを忘れてはいけないということか。

アナログと言えば、元旦の夜にウイーンと同時中継される『ウイーン・フィルニューイヤーコンサート』は絶対に外すことが出来ない音楽番組である。
今年は75周年のコンサートで、過去には、ボスコフスキー・カラヤン・ズービンメータ・小澤征爾など世界を代表する名指揮者がウイーンフィルを率いて、「美しき青きドナウ」等々、ヨハン・シュトラウスの楽曲をたっぷり聴かせてくれる。
2016年は世界的な指揮者マリス・ヤンソンス(過去同コンサート3回目)が楽しくて素晴らしかった。
最後はお決まりのアンコール曲「ラデッキー行進曲」。軽やかな小太鼓で始まり、躍動感あるマーチに観客も体全体の手拍子で参加し演者に早変わりする。その時会場全体が一体になって2016年が始まっていく。
人と人のつながりは、年賀状であれ、握手であれ、抱擁であれ、デジタル世界にはない肌の温もりが伴わなければいけないのである。
今年もそんな当たり前のことを思った正月元旦だった。