GCCAについて
GCCAについて
高校からの友人S君のお話しをします。少し長くなりますが、是非お付き合い下さい。
彼を言い表す言葉として適切なのは「硬派」でしょうか。喧嘩っ早く、しかも強い。頭はというとかなり切れる男です。
物事を自分なりに理解し、納得するまで考え、一旦意思を固めればそこから一歩も引かないというタイプの人間です。更に人を大切にする優しさは半端ではありません。
大学卒業後、証券会社に入り65歳完全リタイアするまで、仕事とゴルフと人付き合いに明け暮れていました。さーこれから好きなことをして楽しむぞ、というその矢先。
昨年9月頃に最終段階の癌であることが判明したのです。
食道・肺等、所謂多臓器の癌でした。我々友人仲間の驚きは尋常ではありませんでしたが、当の本人は勿論想像を絶する程悩んだことは言うまでもありません。
しかし、話はこれからです。そこから彼が何を考え、どのように行動して今に至っているか。これからのお話しは5ケ月(昨年9月〜今年1月)の間に起きたことです。それは有益な示唆を我々に与え、勇気とは何かを教えてくれています。
彼は癌について様々な著書から情報を集め徹底的に理解しながら、担当医師と対話したのち、自分の意思に基づいて治療方針を決めました。癌治療で医師の持つ過去の症例やこうすればどうなるか、こうやるとすればどのようなことが可能性としてあるか、等々徹底して一切の事実を聴き出しました。そして医師が進めることを全て行うということではなく、自分の身体を一番よく知っている自分が意思決定する、という信念で治療方針を決めたのです。
入院に際しては、「心」をゼロにセットし、「身体」の不具合を取り除くための徹底的な策を施すことを自分に誓いました。「心」をゼロにするという意味は、一切の不安、マイナス思考を取り除き、何が訪れても全てを受け入れるという意味です。
「心」をゼロにセットするという思考は、彼の以下の言葉で説明してくれました。「100歳まで生きることを100点満点としたら、自分は66点取ったのだから、平均点を上回るまで生きたと言えるので十分だ。だいいち66点だったら欠点じゃないでしょ。追試を受けなくてもよい(笑)。これからは67点68点と1点ずつ伸ばせれば尚更結構ではないか」と。
実は一年前から仲間たちとバンコクへゴルフ旅行に行くことになっていました。私達の大きな楽しみでしたし、S君は「海外は久し振り、楽しみやなー」と、言っていたのですが・・・。9月、発症判明の後に航空チケットのキャンセルの如何を私は問いました。答えは「そのままにしておいてくれ。俺は行く気だし、もし行けなくとも大した金額じゃないので惜しくない。寧ろ、キャンセルなんて考えてもいない」。彼の心情を察すれば当然の返答であり、愚かな問いであったと思っています。
食道は既に手術出来る状態ではありませんでした。放射線治療と抗がん剤による治療のため、2度入院し、退院後に会った時の彼は、食事が喉を通りません。そりゃそうでしょう。食道は放射線で焼けただれているのですから。体重も20kg近く落ちていました。医師からは栄養を点滴で補うように言われるのですが、それを拒否し食事をすることを選択していました。食べられないというよりは呑み込めない。そして抗がん剤の影響なのか、料理の匂いと食道の障害を脳が先に反応して食べることへの拒否反応が来てしまうという状態でした。それでもゆっくりほんの少しずつ食べることに挑戦し続けました。点滴ではなく自分で食べる、と決めているからです。
それは、当たり前に食べるということではなく、食物から栄養を取るために激痛に耐えながら呑み込む行為でした。おおよそ食事と言えるようなものではなかったでしょう。壮絶でハードなファイトなのです。若かりし頃、さも強い人間と喧嘩でもするように彼は食物を時間をかけて呑み込んでいました。
又、退院後の生活は今まで通りに過ごしたいという気持ちが強く、家でじっと療養するなんて彼らしくありません。ある日、麻雀をしたいと言い出しました。
一度目の麻雀の時、うどんをゆっくり時間をかけて出汁も何もかもすべて懸命に呑み込む彼がいました。(麻雀しながら食事をするのは一般的に当たりまえの行為)2度目の麻雀の際などは、餃子と炒飯を全部平らげてしまう程でした。
バンコクに出かける前には、予行演習のためにゴルフ場にも出かけていたりしていました。
そして11月。8日間のバンコクゴルフ旅行に出かけたのです。勿論、全て予定通りスケジュールをこなし、当然の如く連日の6プレーを見事に果たしました。参加仲間は彼を大変気遣いますが、本人は食事も酒の席もまるで何事もなかったかのように消化し、旅行を楽しんでいました。
帰国後、12月に再度検査を兼ねて入院しましたら、驚くことに癌細胞の数が大幅に減っていたのです。しかし、根絶した訳ではありません。更に今年1月検査等のために入院をし、今は帰宅しています。次回の入院で癌の状態を検査し、医師と話し合って今後の治療方針を決めるとのことでした。
彼は入退院を4度繰り返しましたが、その都度私達に癌について知り得た知識を情報発信してくれています。
中でも、癌マーカーが正常値でも決して安心しないこと。事実彼のマーカーは全て正常値なのですから。とても不思議ですし、医師も稀にこんなこともありうるといっているとか。また、ペットの検査での癌判明確率はせいぜい15%程度であること、等々がそれです。
癌治療についての医学最前線にいる彼からもたらされる情報は実に多岐に亘ります。ある日彼と喫茶店で話をした時、私は「君は我々がきっと通る道を先に行っており、まるで水先案内のように、知見を与えてくれている感じやね」と言いました。「そう、その通りやで。自分が体験から得たことを皆に知らせていくことは自分が生きる大きな糧になっていと思うんや」と。
そういえば、昔からあの店は安いし美味いとか、こうすればこれは手に入るとか、これをする場合にはこんなことに気をつけろとか、体験して感じたことを一杯教えてくれていました。それが癌であっても、さもうまい店を見つけたかの如く教えてくれているのです。自己顕示ではなく彼の優しさなのだとつくづく思います。
癌が小さくなり、数も減っている。どうしてなのでしょうか。
薬が効いているのでしょうか。それとも「心」をゼロリセットして、癌と向き合っているからなのでしょうか。彼を観ていると癌と戦うというような表現はしっくりきません。まるで普通の出来事のように力を抜いて平常の心で、過ごしています。だからなのでしょうか。
それは分かりませんが、少なくとも近接の楽しみを目標として持ち、そこから逆算して治療方針を決めているとのこと。つまり明日に向かって生きることを止めないという感じです。
癌と戦っている、といういい方は彼には当てはまりません。向き合っているのです。自分の置かれた現状を楽観視も悲観視もせず冷静に見詰め、様々な情報を集めて納得いく方向を見出しているように思えます。しかし癌だけに向き合っているのかというとそうでもないことに先日気付きました。彼は癌であるという事実から逃げずにそれを通して、家族はもとより、私達友人や知人とのこれからの関係の持ち方と向き合っているように思えてなりません。つまり自分の人生と素直に向き合っているのです。
そこにいるのは若かりしあの日の尖がった彼ではなく、自分の生き方を見詰めて、決めた道をまっすぐに貫こうとする「意志の男」がそこにいるのです。
さて、次の楽しみ目標は4月にバンコク旅行に行ったメンバーと天草にゴルフ旅行することです。そうそう、喫茶店の別れ際に「これから寒くなるけど、一度暖かそうな日にゴルフいこうぜ。それと近々麻雀でもしようよ」、大阪に雪が舞った日の夕方でした。